カンチ会 30周年 

 山森隊長の挨拶で会は始まった。故人となりし6名に献杯。30周年に乾杯。
 30年前のカンチ8o映画DVDを観賞後、宴会に突入。各仁のあれからの30年と現況披露。
 学術隊の小林名誉教授と作家谷本氏はカトマンズを離れて以来30年ぶりの再会であった。
 諏訪の原ちゃんは若尾夫人よりの珍味、ザザ虫、伊那護、信州蜂ノ子、馬肉、シカ肉、
 蚕さなぎの佃煮の差し入れ持参。
 初物に感激し、賞味。なぜ愛妻を連れてこなかったと一人責められていたーーーーー。

片岡隊員より竜馬脱藩の地の産物、片岡ハンターが仕留めたイノシシ肉、土佐文旦が届いた。
宴中に本人の電話あり、隊員へ電話が廻って参加?
 菴主、会津楢茸おろし、ニシン山椒漬や秋田燻りガっコ、自家製豚薫を用意。
持ち寄りの各地の酒を頂き続け3升の酒、5リットルのワイン、と焼酎数本は1夜に消えた。
60〜70歳屈強の胃袋に収まった。
 pm9時、NHKー総合に浪江より被災避難の稲田元専務理事が浪江町行革委員長?
が出ていたようだ。 
翌朝はあだたら山へ向かう小島守夫栃木岳連会長は東京の登山者合流のため7時に離菴。
山は吹雪でゴンドラ動かず、薬師岳を楽しんだようだ。
現役飛田和夫氏、伊東満氏は所用で早期にいおりを離れた。
バラサーブ発議によりいおりに名をとーーーーー皆の考慮後 谷氏のさんめいを頂いた。
悠久の里で温泉8名、 〆のうどんを頂いて会はPM2時終宴。

諏訪の原ちゃんは郡山で新幹線の人となった。
東京組の菊地兄車には(知多からの小林教授が新白河へ)山森夫妻、尾形氏を乗せて南下。
酒田組今野先生、小松伸氏の2車は北上。
菊地バラサーブ幹事、再編作成のカンチのDVD、30周年冊子。
山森バラサーブから文化学会9号会報、日本ヒマラヤ登山通史が配られ、
6名の遺影が用意されていた。
土佐文旦と庄衛氏力作のカレンダーが土産となった。

カンチ会参加者記念写真     尚 看板は高橋庄衛氏の協力による。
岳啼菴命名者谷甲州氏夫妻と
囲炉裏の煙の中でそろそろ御開き?原ちゃんは夢の中?

岳啼菴

保坂別宅を2012年3月25日命名する。

命名者 作家 谷甲州 石川県小松市在住

その意味は世界の高みに憧れて3度啼いた男の庵という気持ちを込めて命名。
1度目は1981年5月のカンチェンジュンガ8568m登頂し、隊が8000M峰縦走断念した時
2度目は2000年の5月17日チョモランマ8848m 東北より7名で挑んで登頂した時
3度目は2009年の8月パキスタンのk2(8611m)に隊長として遠征し、
隊が頂上直下でジェット気流南下で撤退の断を下した時に啼いた。

さんめいあんと呼ぼうとの提案があり、その場に居合わせたカンチェンジュンガ30周年で集っていた
仲間達に披露し、ヒマラヤ協会会長、理事長、日山協専務理事、その臨場諸兄の賛同を得た。

は丘を除けばとなり、岳高故貴し、ビックスリーのさん
泣きは、鳴きにあらず、啼きであり。高きに在りての
男啼きである。
庵は、草かんむりの菴とし、草堂の意味を込める。
鉾衝新田の村内にあるが社会とのしがらみから離れたいおりをイメージした。